M&Aと遺産分割──後継者以外の相続人にどう配慮するか
M&Aを検討する場面では、「税金をいかに抑えるか」に意識が向きがちです。もっとも、オーナー経営者の立場から見ると、同じくらい重要なのが遺産分割のしやすさです。
特に、後継者が会社や事業を承継する一方で、後継者以外の相続人にも一定の財産を分ける必要がある場合、何を相続財産として残すのかによって、相続実務の難しさは大きく変わります。
非上場株式は分けにくく、評価をめぐって対立も生じやすい財産です。これに対し、現金預金は分けやすく、納税資金にも充てやすいため、遺産分割を円滑にしやすい財産といえます。
したがって、一部事業譲渡を前提としたM&Aでは、「誰にいくらの現金が残るか」という視点でスキームを見直すことが非常に大切です。
実務上のポイント
M&Aは売却価格だけで評価すべきではありません。後継者以外の相続人に対して、分けやすい現金をどれだけ残せるかまで見てはじめて、本当に使いやすいスキームかどうかが分かります。
M&A対象の事業を譲渡する手法を採用した場合
M&Aの手法として、M&A対象の事業そのものを譲渡する方法を採用した場合、譲渡代金を受け取るのは個人株主ではなく、被買収会社です。
つまり、オーナー個人の手元に直接現金が入るわけではありません。そのため、相続が発生したときに個人株主の相続人が納税資金を確保しようとすると、相続開始後に、被買収会社から資金を引き出す必要があります。
相続後に自己株式取得を使う方法が検討対象になる
この場合の代表的な実務対応として、相続により取得した被買収会社株式を、相続税の申告期限から3年以内に、被買収会社に自己株式として買い取らせる方法が考えられます。
この方法には、税務上、次の2つの重要な効果があります。
- ① 当該買い取らせた被買収会社株式に対応する相続税を取得費に加算できる(租税特別措置法39条)
- ② 配当所得ではなく、譲渡所得として取り扱われる(租税特別措置法9条の7)
相続により取得した資産の取得費は、原則として被相続人の取得費を引き継ぐため(所得税法60条)、そのままでは譲渡所得が大きくなりやすいのですが、取得費加算の特例により一定の調整が可能になります。
また、自己株式取得が配当所得ではなく譲渡所得として扱われる点も実務上重要です。もっとも、この特例は株式会社が自己株式を取得する場合に限って認められるものであり、持分会社が出資の払戻し又は持分の払戻しをする場合には認められていません。
注意点
事業譲渡方式では、会社にお金が残るため、一見すると安心に見えます。しかし、個人の納税資金や遺産分割資金として使うには、会社から個人へどう移すかという追加設計が必要です。
後継者以外の相続人への配慮という観点では、やや扱いにくい
遺産分割の観点から見ると、後継者に被買収会社株式を相続させるとしても、後継者以外の相続人に対しても、何らかの相続財産を取得させる必要があります。
もちろん、後継者以外の相続人が被買収会社株式を相続したうえで、その株式を被買収会社が自己株式として買い取る方法も考えられます。ただし、その場合には、どの価額で買い取るかが新たな論点になります。
一般には、相続税評価額による買取りが検討されることが多いと思われますが、当事者間で買取価額について合意ができなければ、相続人間の対立、いわゆる争族の原因になるおそれがあります。
この意味で、M&A対象事業を直接譲渡する手法は、会社に現金が残るメリットがある一方で、後継者以外の相続人に分けるための設計がワンステップ増える点に注意が必要です。
対象外事業を切り離してから株式譲渡する手法は、遺産分割に使いやすい
これに対し、
- M&A対象外の事業を簿価で切り離してから被買収会社株式を譲渡する手法
- M&A対象外の事業を時価で切り離してから被買収会社株式を譲渡する手法
のいずれを採用した場合でも、個人株主が譲渡代金を直接受け取ることになります。
そのため、後継者以外の相続人に対する遺産分割という観点からは、非上場株式を相続させるのではなく、最初から現金預金を相続させることができ、相続手続を円滑に進めやすくなります。
後継者以外の相続人からすれば、会社支配や非上場株式そのものに強い関心があるとは限りません。むしろ、一定額以上の現金預金を取得できるのであれば、相続上の不満が生じにくくなり、争族の可能性を大きく下げることができます。
相続実務の視点
非上場株式は「価値はあるが分けにくい財産」です。これに対して現金は「分けやすく、不満が出にくい財産」です。遺産分割のしやすさだけを見るなら、個人株主に売却代金が入るスキームは非常に扱いやすいといえます。
簿価で切り離してから株式譲渡する手法では、株主に残る譲渡代金を調整しやすい
M&A対象外の事業を簿価で切り離してから被買収会社株式を譲渡する手法を採用した場合には、分割承継法人に移転する資産・負債の内容を調整することにより、被買収会社の株主に入る譲渡代金の水準を調整することができます。
ご提示いただいた数値例で考えてみます。
- M&A対象の事業価値:700百万円
- 分割法人の有利子負債:500百万円
この有利子負債が、M&A対象事業に対応するものか、M&A対象外事業に対応するものかは、借入時点では整理されていたとしても、適格分割型分割を行う場合には、どちら側にも移転させる余地があります。
有利子負債をすべて対象外事業側へ移す場合
この場合、M&A対象事業を保有する被買収会社には負債が残らないため、分割法人株式(被買収会社株式)の譲渡代金は700百万円となります。
有利子負債をすべて対象事業側へ残す場合
この場合、被買収会社株式の価値は、事業価値700百万円から有利子負債500百万円を差し引いた200百万円になります。
言い換えると、減少した譲渡代金500百万円は、負債の残存を通じて、間接的に分割承継法人側へ移ったのと同じ経済効果を持ちます。
つまり、どの負債をどこへ持たせるかによって、個人株主が受け取る現金額を調整できるわけです。
遺産分割に必要な現金額から逆算して設計できる
たとえば、被相続人の老後資金として100百万円が必要であり、さらに後継者以外の相続人に200百万円(相続税支払前)の相続財産を残す必要があるとします。
この場合、譲渡所得に課税された後の手取りとして300百万円が必要になります。譲渡所得に対する所得税・住民税の税率を20.315%とすると、逆算上、約400百万円の譲渡代金が必要になります。
そして、M&A対象事業の事業価値が700百万円であることから、有利子負債300百万円を対象事業側に残した状態で株式譲渡を行えば、分割法人株式の譲渡代金を400百万円に調整することができます。
その結果として、分割型分割により分割承継法人へ移転する有利子負債は200百万円となります。
| 前提 | 金額 |
|---|---|
| M&A対象事業の事業価値 | 700百万円 |
| 有利子負債総額 | 500百万円 |
| 手取りで必要な現金 | 300百万円 |
| 必要な譲渡代金(税率20.315%前提) | 約400百万円 |
| 対象事業側へ残す有利子負債 | 300百万円 |
| 承継会社へ移す有利子負債 | 200百万円 |
このように、簿価で切り離す方法は、株主に残す現金額をかなり柔軟に設計しやすい点が大きな特徴です。
時価で切り離してから株式譲渡する手法でも、手元資金の調整は可能
次に、M&A対象外の事業を時価で切り離してから被買収会社株式を譲渡する手法を見てみます。
この方法でも、事業譲受法人または分割承継法人に移転する資産・負債の内容を調整することで、被買収会社の株主に最終的に残る譲渡代金を調整することが可能です。
なぜなら、この方法では、M&A対象外の資産・負債を時価で移転する代わりに、被買収会社がその時価に等しい対価を受け取るからです。したがって、対象外資産を外に出しても、その分だけ会社に対価が入り、結果として被買収会社株式の時価自体は下がりにくいという特徴があります。
たとえば、分社型分割(株式交付型)を行った後に、分割承継法人株式を支配株主に譲渡し、分割法人株式(被買収会社株式)を買収会社に譲渡する方法を想定します。
このとき、被買収会社株式の時価が1,000百万円であり、分割承継法人に移転する資産・負債の時価も1,000百万円であれば、被買収会社の株主が受け取った1,000百万円の譲渡代金は、そのまま分割承継法人株式を取得するための資金として使われることになり、株主の手元には譲渡代金が残りません。
これに対し、分割承継法人に移転する資産・負債の時価を700百万円にすれば、分割承継法人株式の取得に使う資金も700百万円で済むため、譲渡所得に対する税金を無視すれば、被買収会社の株主に300百万円の譲渡代金が残ることになります。
ただし、時価で切り離す方法は、株式価値そのものを下げにくい
もっとも、ここが非常に重要な違いです。
簿価で切り離してから株式譲渡する手法では、被買収会社株式の時価そのものを引き下げることが可能です。これに対し、時価で切り離してから株式譲渡する手法では、M&A対象外の資産・負債の時価に相当する対価を被買収会社が受け取っているため、被買収会社株式の時価は引き下げられません。
そのため、一般に、
- 簿価で切り離してから株式譲渡する手法の方が
- 時価で切り離してから株式譲渡する手法よりも
- 被買収会社の株主における譲渡所得が減少しやすい
と整理することができます。
言い換えると、遺産分割のために「個人株主にどれだけ現金を残したいか」を考える場合、簿価切り離しの方が設計の自由度が高くなりやすいのです。
比較のコツ
簿価切り離しは株式価値自体を下げて個人の課税対象を圧縮しやすい方法です。これに対して時価切り離しは、会社がきちんと対価を受け取るため株式価値は下がりにくい方法です。似ているようで、遺産分割の結果は大きく変わります。
役員退職慰労金もあわせて検討する
なお、簿価で切り離してから被買収会社株式を譲渡する手法、時価で切り離してから被買収会社株式を譲渡する手法のいずれであっても、役員退職慰労金を支給する余地があります。
そのため、実務では、単に譲渡代金の残し方だけでなく、役員退職慰労金によって個人に移せる資金まで含めて検討することが重要です。
オーナーの退任を伴うM&Aでは、譲渡代金、退職慰労金、会社に残す資金、後継者以外の相続人に残す現金、相続税の納税資金といった要素を、まとめて設計する必要があります。
まとめ
M&Aと遺産分割をあわせて考えると、各手法の特徴は次のように整理できます。
| 手法 | 譲渡代金を受け取る主体 | 遺産分割との相性 | 実務上の特徴 |
|---|---|---|---|
| M&A対象事業を譲渡する手法 | 被買収会社 | やや工夫が必要 | 自己株式取得や取得費加算の特例を使った資金移転が論点になる |
| 対象外事業を簿価で切り離してから株式譲渡 | 個人株主 | 相性がよい | 負債配分により譲渡代金を調整しやすく、遺産分割設計がしやすい |
| 対象外事業を時価で切り離してから株式譲渡 | 個人株主 | 相性はよい | 個人に現金は残しやすいが、株式価値自体は下がりにくい |
結局のところ、M&Aのスキーム選択は、法人税や所得税だけで決めるべきではありません。後継者以外の相続人に、いくらの現金を、どのタイミングで、どのように残すかという観点まで含めて、総合的に設計することが重要です。
特にオーナー企業では、M&Aは単なる売却ではなく、事業承継・相続・遺産分割を同時に処理するイベントです。したがって、最終判断にあたっては、M&Aアドバイザーだけでなく、相続税・組織再編税制・オーナー課税に強い税理士や会計士を交えて検討することをおすすめします。