評価アプローチの選定を実際の算定事例で解説|インカム・マーケット・コストの使い分けを実務目線で整理

企業価値評価の実務では、インカム・アプローチ、マーケット・アプローチ、コスト・アプローチのいずれを採用するかが、算定結果の説得力を大きく左右します。もっとも、実務上の判断は「どの手法が最も有名か」「どの手法が理論的か」といった一般論だけでは決まりません。重要なのは、評価対象企業の業績、事業計画の合理性、入手可能資料、継続企業としての前提、取引の目的、利害関係者の範囲などを踏まえ、どの評価アプローチが当該案件の実態を最も適切に表現できるかを見極めることです。

以下では、実際の算定事例をもとに、①インカム・アプローチのみを採用した事例、②マーケット・アプローチのみを採用した事例、③コスト・アプローチのみを採用した事例、④インカム・アプローチとマーケット・アプローチを採用した事例に分けて、評価アプローチの選定理由を整理します。

【実務上の基本姿勢】 評価アプローチの選定は、評価対象企業の状態と評価目的に応じて決まります。手法の名称から入るのではなく、「何を、どの前提で評価するのか」から考えることが重要です。

■ 評価アプローチの全体像

評価アプローチ考え方代表的な手法主に適する場面
インカム・アプローチ将来の収益力やキャッシュ・フローに着目して価値を捉えるDCF法、収益還元法事業計画に合理性があり、継続企業として評価できる場合
マーケット・アプローチ市場価格や類似会社の倍率をもとに価値を捉える市場株価法、類似企業比較法市場データが利用でき、外部情報による把握が可能な場合
コスト・アプローチ資産・負債の静的な積み上げから価値を捉える時価純資産法、修正純資産法継続性に疑義があり、収益力評価が適合しにくい場合

■ ① インカム・アプローチのみ採用した事例

【事例1 評価対象企業が安定して収益を計上している場合】

この事例では、評価対象企業は設立以来順調に業績を伸ばしており、安定的に一定水準の利益を確保できるビジネスモデルを構築していました。中期経営計画についても、過去の業績推移や市場動向から大きく乖離した内容ではなく、将来予測に相応の合理性が認められる状況にありました。

このような場合、企業価値の本質は、過去の一時点の数値や類似会社の相場観よりも、将来にわたってどれだけ安定的に収益を生み出せるかにあります。そのため、将来のフリー・キャッシュ・フローを基礎に現在価値へ割り引くDCF法が、対象企業の実態を最も理論的かつ一般的に表現できる手法と判断されます。

一方で、マーケット・アプローチは採用されませんでした。その理由は、第一に類似上場会社の選定が容易ではなかったこと、第二に対象企業が中長期的な成長を見込めるにもかかわらず、市場倍率を中心とする評価では目先の業績見通しが強く反映されやすく、長期的な収益獲得能力を十分に捉えにくいためです。

検討項目本事例の状況判断への影響
過去業績複数期間にわたり安定して利益を計上将来収益の予測可能性が高い
事業計画過去実績や市場動向と整合的DCF法の前提に合理性がある
成長性中長期的な成長が見込まれる長期収益力を反映する手法が適する
マーケット情報類似上場会社の選定が困難マーケット・アプローチの有用性が低い

・過去数期間にわたり安定して収益が計上されていること
・今後も業界の成長に歩調を合わせた安定的な成長が期待できること
・その傾向が事業計画に適切に織り込まれていること
・マーケット・アプローチでは長期的な収益力が反映されにくいこと

【コメント】 「安定収益」「合理的な事業計画」「長期成長」が揃っているなら、将来収益を正面から評価するインカム・アプローチが中心になります。

【事例2 評価対象企業の事業再構築目的での価格算定】

この事例では、評価対象企業が属する外食産業は、ビジネスモデルの成熟化や過当競争により、長年にわたり市場全体が頭打ちの傾向にありました。評価対象企業自身も、市場占有率拡大を目指してM&Aや積極出店を進めていたものの、少子高齢化や原材料価格の高騰を受けて業績が急速に悪化し、抜本的な事業再構築が必要な状況に至っていました。

もっとも、同業他社には業績下げ止まりの傾向も見られ、成熟市場に適応した形で安定成長に転じる余地は残されていました。対象企業も、不採算店舗の閉鎖、他業態への転換、経費削減、購買活動の最適化などを柱とする新たな事業計画を策定し、長期的な市場動向に歩調を合わせた再成長を模索していました。

このような前提のもとでは、直近業績だけを見ると企業価値を過小に捉えてしまうおそれがあります。むしろ、再構築後の将来収益力こそが企業価値評価の中心になるため、インカム・アプローチが最も適合すると判断されます。特に、マーケット・アプローチは足元の低迷業績や市場の短期的評価を反映しやすいため、本件のような再生・再構築局面では、企業価値を低く見積もり過ぎる危険があります。

検討項目本事例の状況判断への影響
直近業績低迷している直近数値ベースの評価では過小評価のおそれ
市場環境成熟化しているが安定成長余地あり再構築後の収益力評価が重要
新事業計画不採算整理・コスト最適化を織り込んでいる将来CFの見積りに意味がある
マーケット・アプローチ足元の低迷業績を強く反映しやすい企業価値を過小評価しやすい

・直近の業績は低迷しているものの、市場がある程度成熟化しており、将来的には一定程度の成長が見込まれていること
・長期的な市場動向に歩調を合わせた安定的成長が事業計画に織り込まれていること
・直近業績に着目するマーケット・アプローチでは企業価値が過小に評価されやすいこと

■ ② マーケット・アプローチのみ採用した事例

【事例1 企業買収の予備的評価を目的とした価格算定】

この事例では、依頼者は評価対象企業の買収を検討していたものの、まだ具体的な交渉開始前の段階にあり、対象会社の内部資料や詳細な事業計画を入手していませんでした。利用可能な資料は、適時開示情報や「会社四季報」などの公表情報に限られていたため、将来キャッシュ・フローを合理的に見積もるための材料が不足していました。

このような場合、インカム・アプローチの前提となる将来収益予測を無理に作成しても、その信頼性は高くありません。そこで、外部から入手可能な市場情報をもとに、類似企業比較法によって企業価値を推定するという判断が合理的になります。

検討項目本事例の状況判断への影響
評価目的買収前の予備的評価簡便かつ迅速な把握が重視される
内部資料未入手将来CFの予測が困難
外部資料開示情報・公表情報は利用可能市場情報ベースの評価が可能
類似企業複数選定可能類似企業比較法の適用余地がある

・インカム・アプローチの前提となる将来キャッシュ・フローが入手資料からは予測できないこと
・複数の類似上場企業が選定できること

【コメント】 買収の初期検討段階では、「精緻さ」よりも「限られた情報でどこまで妥当なレンジを把握できるか」が重要になるため、マーケット・アプローチが使いやすくなります。

【事例2 資本提携関係にある会社間の公開買付価格の算定】

この事例では、買付者と対象者は既に業務資本提携関係にあり、友好的な関係のもとで公開買付価格を算定する場面でした。人材交流などを通じて、双方は事業内容や経営戦略、リスクなどに関する認識を相当程度共有しており、情報の非対称性は比較的小さい状況にありました。

このような場合、あえて時間と費用をかけてインカム・アプローチによる詳細な評価を行わなくても、市場株価を基礎に一定のプレミアムを加味することで、合理的かつ迅速に買付価格を設定できる場合があります。そこで、本件では市場株価法と類似企業比較法を用いるマーケット・アプローチのみが採用されました。

検討項目本事例の状況判断への影響
当事者関係既に資本業務提携を締結友好的取引であり情報共有が進んでいる
評価目的公開買付価格の算定市場価格を基礎にしやすい
意思決定迅速性が重視される市場株価ベースの手法が適する
情報の非対称性比較的小さい詳細DCFの必要性が相対的に低い

・既に資本提携が締結されているなど、売り手側と買い手側が友好的な関係にあること
・提携関係を通じて、双方の事業内容、リスク、経営戦略などの認識が共有されていること
・市場株価に一定のプレミアムを加味する方法が迅速な意思決定に結びつくこと

■ ③ コスト・アプローチのみ採用した事例

【事例 連続して損失を計上している場合の企業価値評価】

この事例では、評価対象企業は過去継続的に損失を計上しており、インカム・アプローチによって算定される事業価値もマイナス、又はゼロに近い水準となる状況でした。このようなケースでは、将来収益力に着目する評価が必ずしも企業の実態を適切に表すとはいえず、継続企業としての評価前提そのものに疑義が生じます。

そこで、評価対象企業の保有資産と負債を静的に捉え、修正後の純資産に基づいて企業価値を把握するコスト・アプローチが採用されました。この方法は、将来計画の不確実性が高い局面において、客観性の面で優れているという特徴があります。

検討項目本事例の状況判断への影響
業績連続して損失を計上継続企業前提に疑義が生じる
インカム評価事業価値がマイナス又はゼロに近い収益還元型評価の適合性が低い
評価の視点静的な財産価値の把握が必要コスト・アプローチが適する
客観性将来計画より資産負債の把握が明確算定の説明可能性が高い

・評価対象企業が連続して損失を計上しており、企業の継続性に問題があること
・インカム・アプローチにより算定される事業価値がマイナス又はゼロに近い水準となっていること
・静的側面から企業価値を評価する方が客観性に優れること

【コメント】 「将来収益を生む会社」としてみるのが難しい場合には、「今ある資産・負債の価値」を基礎に評価するコスト・アプローチが現実的になります。

■ ④ インカム・アプローチとマーケット・アプローチを採用した事例

【事例1 上場企業が非上場子会社を完全子会社化する株式交換における価格算定】

この事例は、上場企業である親会社が、株式交換により非上場の連結子会社を完全子会社化する取引における株式交換比率の算定です。株式交換は、連結子会社を完全子会社化することで意思決定の迅速化、重複事業の整理統合などを進め、グループ全体の企業価値向上を図る目的を持つ取引です。そのため、取引価格も将来の収益力を基礎に決定されるべきであり、インカム・アプローチを第一に適用すべきと考えられます。

他方で、株式交換比率は少数株主の利益に直接関わる重要な論点であり、一つの評価手法だけに依拠すると算定結果の客観性や妥当性に疑義が生じる可能性があります。そこで、複数の評価アプローチにより企業価値を多面的に検証する必要があり、マーケット・アプローチも併用されました。

具体的には、上場企業である親会社については市場株価法と類似企業比較法を、非上場企業である子会社については類似企業比較法を採用し、市場の評価を一定程度反映させています。

検討項目本事例の状況判断への影響
取引の目的完全子会社化による企業価値向上将来収益力を重視する必要がある
利害関係者少数株主を含む多数の関係者が存在客観性・妥当性の担保が重要
上場企業の存在親会社は上場会社市場株価を斟酌する必要がある
評価方法インカム+マーケット多面的な検証が可能になる

・評価の前提となる取引が将来の企業価値向上を目的としていること
・利害関係者が多数に上り、算定結果の客観性と妥当性を担保する必要があること
・評価対象に上場企業が含まれ、市場株価を斟酌する必要があること

【事例2 完全子会社化を目的とした公開買付けにおける価格算定】

この事例では、親会社が買付者となり、既に子会社化している上場企業の株式を公開買付けで取得し、その後の手続とあわせて完全子会社化する場面が問題となっています。対象会社は過去4期連続で減収減益となっており、直前事業年度には上場以来初めて営業損失を計上し、当面も売上減少傾向に歯止めが見られない状況でした。

このような状況のもと、完全子会社化後の非公開化を通じて抜本的な経営改革を実施することが予定されている以上、買付者が注目しているのは対象会社の将来の収益回復力です。そのため、評価の中心にはやはりインカム・アプローチが置かれます。

もっとも、対象会社は上場企業であり、市場株価を全く無視することはできません。そこで、マーケット・アプローチのうち市場株価法は採用されました。他方、類似企業比較法は採用されませんでした。

その理由は、類似企業比較法が、通常は類似企業の現在の株価と近い時点の業績見込を対応させることを前提とする手法である一方、本件では対象会社の直近業績が著しく低迷しており、市場株価はむしろ足元の業績ではなく、将来の業績回復シナリオを織り込んで形成されていると考えられたためです。その結果、目先の低い業績に類似企業の倍率を当てはめても、有益な算定結果が得られないと判断されました。

検討項目本事例の状況判断への影響
対象会社の業績4期連続減収減益、損失計上直近業績ベースの倍率評価に問題がある
買付目的完全子会社化後の抜本的改革将来収益力の評価が重要
上場性対象会社は上場会社市場株価法は一定の意味を持つ
類似企業比較法直近業績との対応関係が不適切有益な結果を得にくく不採用

・評価対象企業の業績が低迷しているものの、市場株価には将来の業績回復が織り込まれていること
・目先の業績と株価の間に適切な対応関係が存在していないと考えられること
・その結果、類似企業比較法によって有益な算定結果を得ることが困難であること

【コメント】 マーケット・アプローチを採る場合でも、すべてのマーケット手法が当然に使えるわけではありません。市場株価法は採用しても、類似企業比較法は前提が崩れるため不採用という判断は、実務上十分にあり得ます。

■ 事例から見えてくる評価アプローチ選定の実務ルール

以上の事例を通じて分かるのは、評価アプローチの選定には一定の実務的な傾向があるということです。第一に、将来の収益力を合理的に見積もることができる場合には、インカム・アプローチが中心になります。第二に、将来計画の裏付けが弱い場合や、外部公表情報しか入手できない場合には、マーケット・アプローチが選ばれやすくなります。第三に、継続企業としての前提に疑義がある場合には、コスト・アプローチが重視されます。第四に、少数株主保護や上場会社の市場評価を考慮すべき場面では、インカム・アプローチとマーケット・アプローチの併用が有力になります。

典型的な状況選ばれやすいアプローチ理由
安定収益・合理的計画ありインカム・アプローチ将来収益力を正面から反映できるため
内部資料が乏しい・初期検討段階マーケット・アプローチ外部情報での把握が可能なため
連続赤字・継続性に疑義コスト・アプローチ静的な財産価値の把握が現実的なため
少数株主保護・上場会社を含む組織再編インカム+マーケット収益力と市場評価の双方を考慮できるため

■ まとめ

評価アプローチの選定は、企業価値評価の出発点でありながら、同時に結論の説得力を左右する極めて重要な判断です。実務では、単に「DCF法が理論的だから採用する」「上場会社だから市場株価法を使う」といった短絡的な整理では不十分であり、評価対象企業の実態、評価の目的、利用可能資料、利害関係者の範囲、継続性の有無などを踏まえた適合性の判断が不可欠です。

今回取り上げた事例を整理すると、次のように理解できます。

・将来収益力が合理的に把握できるなら、インカム・アプローチが中心になる
・将来予測の基礎資料が乏しいなら、マーケット・アプローチが有力になる
・継続企業としての前提に疑義があるなら、コスト・アプローチが現実的になる
・客観性や市場評価の反映が重要なら、インカムとマーケットの併用が有効になる

企業価値評価の実務では、最終的な数値だけでなく、「なぜそのアプローチを選んだのか」という説明自体が重要な意味を持ちます。したがって、算定書を読む場面でも作成する場面でも、まずは評価アプローチの選定理由に注目することが、実務理解の第一歩といえるでしょう。

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