相続した債務の免除益に所得税はかかるのか

相続というと、不動産や預貯金などのプラスの財産を引き継ぐ場面が注目されがちですが、実際には借入金などの債務も相続の対象になります。そして、相続人が承継した債務について、その後に金融機関との和解や協議によって返済義務の一部が免除されることがあります。

このとき税務上問題になるのが、債務免除によって生じた利益に所得税が課されるのかという点です。

一見すると、返済すべき借金が免除されれば、その分だけ経済的利益を受けたと考えられるため、所得税の課税対象になりそうです。他方で、その債務はもともと相続によって承継したものであり、相続税との関係では二重課税の問題が生じます。

この論点について、東京高等裁判所は納税者側を認容し、一定の債務免除益に対して所得税を課すことは、所得税法9条1項16号の趣旨に反して許されないと判断しました。さらに、最高裁判所第三小法廷は、当該事件について2026年5月29日に弁論を開くことを決定しており、最終判断が注目されています。

まず本件の概要を整理する

本件では、被相続人が銀行に対して負っていた債務を、相続人である配偶者および子が相続によって承継しました。その債務については、被相続人と銀行との間で、一定額の分割金を支払った場合には、残額について債務免除を行う旨の裁判上の和解が成立していました。

その後、相続人がこの和解に基づいて分割金を支払い、残額約9億7,000万円の債務免除を受けました。ところが、納税者はこの債務免除益について一時所得は生じないものとして申告し、これに対して課税庁が更正処分等を行ったため、争いとなりました。

事案の流れ

時点出来事
相続開始前被相続人と銀行との間で、一定額支払後に残額を免除する内容の裁判上の和解が成立
相続開始時相続人が銀行に対する債務を承継
相続後和解条件に従って分割金を支払い、残額約9億7,000万円の債務免除を受ける
申告・処分納税者は債務免除益を所得に含めず申告、課税庁が更正処分等を実施
訴訟東京高裁は納税者勝訴、最高裁が弁論を決定

ここでの疑問: 相続した借金が後で免除されたなら、その時点で新たな利益が生じたとして所得税を課してよいのか、それとも相続に由来する経済的価値として所得税は課されないのか、という点が核心です。

論点はどこにあるのか

この問題は、単純に「借金が減ったから利益が出た」と整理できるものではありません。なぜなら、相続によって承継した債務は、相続税の計算においても重要な意味を持つからです。

ここで論点を整理すると、問題は大きく次の二段階に分かれます。まず、相続税の計算上、その債務を相続財産から控除できるのかという点です。次に、その債務が後日免除された場合、その免除益に所得税を課してよいのかという点です。

つまり、本件は単なる債務免除益課税の問題ではなく、相続税法上の債務控除と、所得税法上の非課税規定との接点が問題となっている事案です。

論点整理表

論点問題の内容関係法令
相続税の債務控除承継した債務を相続財産から控除できるか相続税法13条、14条
所得税の非課税後日生じた債務免除益に所得税を課せるか所得税法9条1項16号
二重課税の可否相続に由来する経済的価値に相続税と所得税を重ねて課していないか所得税法9条1項16号の趣旨

相続税法上の債務控除とは

相続税は、被相続人から承継した財産の価額を基礎に計算されますが、被相続人の債務については一定の場合に相続財産から控除することができます。これがいわゆる債務控除です。

相続税法13条は、被相続人の債務で相続開始の際に現に存在するものなどを相続財産の価額から控除できる旨を定めています。ただし、何でも控除できるわけではなく、相続税法14条1項は、控除すべき債務は「確実と認められるもの」に限るとしています。

つまり、将来消滅する可能性が高い債務や、支払義務が不安定な債務については、相続税の計算上、債務控除が認められない場合があります。

債務控除の基本整理

項目内容
相続税法13条被相続人の債務で相続開始時に現に存するもの等は、一定の場合に相続財産から控除できる
相続税法14条1項控除対象となるのは「確実と認められるもの」に限られる
実務上の意味将来の事情により消滅する可能性が高い債務は控除が否定され得る

本件では、相続開始の時点で、すでに裁判上の和解により「一定額を支払えば残額が免除される」という枠組みが存在していました。そのため、東京高裁は、この債務は近い将来に免除を受ける可能性が極めて高く、相続税法14条1項の「確実と認められるもの」には当たらないとして、相続財産から控除されなかった点を重視しています。

実務上の見方: 相続税で債務控除できるかどうかは、「帳簿に債務が載っているか」だけではなく、その債務が相続開始時点でどれだけ確実に負担されるものか、という点まで見ます。

所得税法9条1項16号の非課税規定とは

次に問題となるのが、所得税法9条1項16号です。この規定は、相続、遺贈または個人からの贈与により取得するものについて、一定の範囲で所得税を課さないことを定めるものです。

この規定の趣旨は、一般に、相続税や贈与税の対象となる経済的価値に対して、所得税を重ねて課すことを避けることにあると理解されています。いわゆる相続税と所得税の二重課税の調整規定という位置付けです。

本件では、後日実現した債務免除益が、相続によって取得された経済的価値といえるのか、それとも相続後に新たに発生した所得とみるべきなのかが争点となっています。

所得税法9条1項16号の位置付け

項目内容
規定の趣旨相続税等の対象となる経済的価値に所得税を重ねて課さない
問題になる場面相続後に経済的利益が顕在化するケース
本件での争点債務免除益が相続由来の価値か、それとも新たな所得か

東京高裁はなぜ納税者勝訴としたのか

東京高裁は、本件債務免除益について、形式的に「相続後に生じた利益」であるというだけではなく、その利益の実質が何に由来するのかを重視しました。

具体的には、相続開始時点において、問題の債務は被相続人の債務として現に存在していたものの、近い将来に免除を受ける可能性が極めて高かったため、相続税法14条1項の「確実と認められるもの」に当たらず、相続税の課税価格の計算上控除されませんでした。

そのうえで東京高裁は、そのような債務が後に和解に基づいて免除された場合の利益は、実質的には相続によって承継した財産関係の一部として把握すべきものであり、これに所得税を課すことは、所得税法9条1項16号の趣旨に反して許されないと判断しました。

東京高裁の判断ポイント

ポイント内容
債務の性質被相続人の債務として相続開始時に現に存在していた
相続税での扱い近い将来の免除可能性が高く、「確実な債務」として控除されなかった
免除益の実質相続で承継した財産関係に由来する経済的利益である
結論所得税を課すことは所得税法9条1項16号の趣旨に反し許されない

初心者向けに言い換えると: 東京高裁は、「あとで免除が実現したからといって、まったく新しい所得が発生したとみるのは適切ではなく、もともと相続で引き継いだ財産関係の中で説明すべき利益だ」と考えたわけです。

なぜ二重課税の問題になるのか

ここで、「相続税で債務控除されていないのなら、相続税と所得税が二重に課されているわけではないのではないか」と感じる方もいるかもしれません。もっとも、本件で問題となっているのは、単なる計算上の重複ではなく、同一の経済的価値に対して異なる税目で重ねて負担を課してよいのかという点です。

相続税の計算上、免除される見込みが高い債務だから控除できないとし、その後、実際に免除された段階で今度は所得税を課するという整理をとると、相続で移転した経済的価値の範囲をどう捉えるべきかが問題になります。

東京高裁は、このような場面では、所得税法9条1項16号の趣旨に照らして所得税課税を否定しました。他方で、国側は、相続開始後に債務免除が実現した以上、それは相続時点ではまだ具体化していない利益であり、後日発生した所得として課税し得るという考え方を前提に争っているものとみられます。

対立する考え方のイメージ

考え方見方
納税者側・東京高裁の方向債務免除益は相続で承継した財産関係に由来するため、所得税課税は許されない
国側の方向免除益は相続後に具体化した新たな経済的利益であり、所得税課税の対象となる

実務上、どこに注意すべきか

この問題は、特殊な大口案件だけに関係するわけではありません。相続時に承継した債務について、金融機関との返済条件変更、保証債務の整理、事業承継後の再建スキーム、私的整理、裁判上の和解などが絡むと、同様の論点が生じ得ます。

実務では、まず相続開始時点において、その債務が相続税法上「確実と認められるもの」といえるのかを慎重に確認する必要があります。さらに、後日に債務免除や返済条件の変更が見込まれる場合には、その経済的利益が相続由来のものとして整理され得るのか、それとも相続後の新たな所得とみられるリスクがあるのかを検討する必要があります。

実務チェックポイント

確認項目見るべきポイント
相続開始時の債務内容被相続人の債務として現に存在していたか
和解や契約の有無相続開始前に債務免除の枠組みが既に存在していたか
債務控除の可否相続税法14条1項の「確実と認められるもの」に該当するか
免除益の発生時期相続後にどのような条件成就で利益が具体化したか
申告方針所得税申告でどのように位置付けるか、争点があるか

税務実務の注意: 和解書、返済条件変更契約書、金融機関との交渉経緯、相続開始時点の資料は極めて重要です。後日の課税関係は、相続時点でどのような法的・経済的状態にあったかで大きく左右されます。

初心者向けに一言でまとめると

  • 相続では、財産だけでなく借金も承継する。
  • 相続した借金が後で免除されると、通常は利益が出たように見える。
  • しかし、その利益が相続に由来するものなら、所得税を課すことが二重課税になる可能性がある。
  • 本件では東京高裁が納税者勝訴とし、最高裁の判断が注目されている。

今後の見通し

最高裁判所第三小法廷は、本件について2026年5月29日に弁論を開くことを決定しています。一般に、最高裁が弁論を開く場合には、原判決の結論や法解釈を見直す可能性が意識されるため、実務上の注目度は非常に高いといえます。

もっとも、弁論決定の段階では最終判断の方向性を断定することはできません。現時点では、東京高裁判決の考え方と、相続税法・所得税法の交錯領域にある論点を丁寧に押さえておくことが重要です。

まとめ

相続で承継した債務が、その後に和解等により免除された場合、その免除益に所得税を課すことができるかは、相続税法上の債務控除と所得税法上の非課税規定が交差する難しい問題です。

東京高裁は、相続開始時に現に存在していた債務であって、相続税の計算上は「確実な債務」として控除されなかったものが、その後に免除された場合、その利益に所得税を課すことは所得税法9条1項16号の趣旨に反して許されないと判断しました。

今後、最高裁がどのような法解釈を示すかによって、相続実務、事業承継実務、再生案件、金融機関対応を含む幅広い分野に影響が及ぶ可能性があります。特に、相続開始前から債務整理の枠組みが存在する事案では、相続時点と相続後の課税関係を一体で検討する姿勢がますます重要になるでしょう。


参考法令・参考資料
・所得税法9条1項16号(相続、遺贈又は個人からの贈与により取得するもの等の非課税)
・相続税法13条(債務控除)
・相続税法14条1項(控除すべき債務は確実と認められるものに限る)
・東京高等裁判所令和6年1月25日判決(相続後に実現した債務免除益に対する所得税課税の可否)
・最高裁判所第三小法廷 令和6年(行ヒ)第160号 所得税更正処分等取消請求事件 弁論期日:2026年5月29日午後3時

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